2012年9月9日日曜日

三島丸乗船記(その2)・・・男鹿の棒あなご

つづき

船に乗るときはいつも思うのであるが、海の上で見る日の出、日の入りには心動かされるものがある。しかし、これが毎日であればどうなのだろうか。日常という意味では同じであろうが、ただ、それでも、コンクリートの箱の中でいつ日が暮れたのかも気に留めることも無い日常に比べるとはるかに人間本来の生き方に近いと思う。そんな私の思いをさとった訳ではないと思うが、三島の船長は、どこからともなく取り出したイカ針を操り、自分の日常を楽しみ始める。

 
 
例年8月には、スルメイカの群れはすでに青森県まで北上しているのだが、今年は、まだ、秋田沖にいると云う。前回、出漁した際には、スルメイカが釣れたらしいのだが、残念ながら、今回はボウズ。そうこうしているうちに、日はとっぷりと暮れ、沖合にはスルメイカ釣り漁船の漁火が見えだす。それから1時間ほど、アナゴの動きを待つ間、簡単な夕食を摂り、一休みである。三島丸は機関を停止し錨泊していて船縁を叩く波音のほかは、静寂に包まれている。時折、遠くから貨物船のくぐもるようなエンジン音が近づいては過ぎ去っていく。
 

 
 
20時40分。それまでの静けさから一転、60馬力ディーゼルが唸りを上げて、戦闘モードに突入。揚縄機(鼓のようなドラムが回転して縄を巻き上げる機械、ラインホーラー)のドラムが回りだし、「どう」の残餌や砂泥を洗い流すための海水ポンプも動き出す。作業灯が辺りを煌々と照らし出す。そして、いよいよ仕掛けの引き上げである。
まず、日没前に投入した仕掛けの一端に繋がるボンデンを手繰り寄せて、海底まで300m程のロープを巻き上げる。「どう」はその後に続く長さ5kmもの幹縄に、50m毎に100個付いている。
しばらくして、白白と眩しい作業灯とは対照的にぬらりとした漆黒の海面から、最初の「どう」が現れる。
待望の1個目の「どう」である。船縁に手繰り寄せ船上に引き上げ、アラブの頭巾のような布製の蓋を外してひっくり返すと、獲物が出てくる。果たして、「どう」の出口からは1匹のやや小振りなアナゴが元気に顔を出した。顔を出すといっても、眼は皮の下に埋もれているし、何本からの口ひげはあるが、アゴの骨も無い。実はこの「アナゴ」、アナゴであってアナゴでは無い。普通、アナゴと云えば、江戸前の羽田沖のアナゴ、天ぷらや白焼きなどで知られるマアナゴを指す。では、今回のアナゴは何者か。実は深海魚クロヌタウナギである。男鹿ではこの魚を昔からアナゴと呼んでいて、男鹿の人間が「アナゴを喰いたいな」思うとき、脳裏に描く姿は、このクロヌタウナギのものであり、そして、男鹿名産の一つであると自慢する。
 
 
 
  
 
 
 とはいっても、男鹿に住んでいてもアナゴの生きている姿を思い浮かべることの出来る人はそうはいないであろう。それはそれで良いことかも知れない。この姿形は決して食欲を沸かせるものではない。では、なぜ、それでも男鹿の名産となっているのであろうか。
 
 
 
 
 
 
もちろん、美味いからなのであるが、それもこれも、三島の船長の丁寧な下処理があるからで、この魚の特徴である強烈な粘液や腹わたを取り除いているからである。男鹿以外でも食習慣はあったが、ここまで丁寧な処理をせずに、串刺しにして焼き上げるだけなので、雑味が多いように思う。
 
さて、最後の「どう」が引き上げられたのは23:20頃であったので、5kmの仕掛け全てを引き上げるには3時間近く掛かったことになる。それから、また3時間程かけて漁港に戻り、午前2:20。休む間もなく、すぐさま、下処理に入る。サイズを揃えて串刺しにし、台にかけて一匹一匹、粘液と腹わたを丁寧にしごき落とす。今日はあまり漁模様が良くなかったので、下処理は小一時間ほどで終了する。それでも、残渣や船上の片付けを終えたのは午前3:30であった。
下処理の際に、奥さんが手伝いに入るものの、以前は、出港から帰港までの作業を一人で行なっていたと云う。70歳を超えた今は漁の際にも2~3人の手伝いをお願いしている。
これから5時間ほど、浜風だけで風乾し、「棒あなご」となる。
 
つづく