2012年9月6日木曜日

三島丸乗船記(その1)・・・男鹿の棒あなご


2012年8月某日、アナゴ漁船三島丸が出漁すると聞き付ける。さて、8月某日の翌日、午後13:00。炎天下の男鹿半島平沢漁港に立つ。うだるような暑さのなかで、何もしていないのに汗が流れる。しばらくして、船長が軽トラでやってきた。温和な性格がにじみ出たにこやかな顔。「ど~も、よろしくお願いします!」。すぐさま機関始動、出港、そして涼やかな海風を期待したのだが、現実はそう甘いものではない。まず、何から始まるのかといえば、アナゴを獲る「どう」に餌を込め作業があるのだそうだ。内心「うへぇ~」と思ったが、船だまりから少し先の水路には橋があり、その下での作業で、暑さはいくぶん和らぐ。餌は冷凍のソウダガツオや小サバを使うそうだが、「どう」それぞれに入れる餌の分量を確かめながらの仕込み作業。所作の一つ一つに熟練の技を感じるのはやや感傷的か。とはいえ、手抜きをしないプロの生真面目さがある。



「どう」は100個あるのだが、すべての餌込めを30分ほどで終えると、船は一路、漁場を目して、青い海をかき分けて進む。今日向かう予定の漁場までは約3時間30分。ただの同乗者には長いといえば長い時間であるが、何もかもが新鮮なので、飽きることは無い。しかし、船長はといえば、進路を塞ぐ流れ物(流木など)や、他船の動きなど、安全監視を怠ることがない。



さて、ただの同乗者は、呑気なもので男鹿半島の断崖や水面を走るトビウオを眺めたりしながら船上を過ごす。船のおもて(前甲板)、とも(後甲板)、船縁には所狭しと高さ約50cm、ひと抱えもある100個の「どう」が並ぶが、さながら、昼下がりのブルジュ・ハリファといった風情でユーモラスである。そんなことを考えながら、午後17時30分、漁場到着。



ただの同乗者は、すわ戦闘開始かと意気込むが、まず、錨を投入する。海底に達した錨の爪側(錨冠、「かしら」とも)に結わえられたロープが海面まで伸びるが、そこで発泡スチロールのフロート(樽)に繋がる。さらにフロートから伸びるロープの先にはボンデン(小旗の付いた竹竿を浮き玉に取り付けたもの)が繋がっている。鯉のぼりに例えると、樽は矢車、ボンデンは吹流しに相当するのであろうか。樽とボンデンの海面での位置関係から、潮の流れを読むのである。つまり、樽(矢車)よりも、ボンデン(吹流し)が南側にあれば、潮は北から南へと流れていることになる。同時に、ボンデンの竹竿と小旗の傾き具合も見る。竹竿と小旗が潮の流れと逆方向に傾いている場合は、海上の風向きと、海中の潮の流れが逆になっていることになる。
この潮の流れを読み違えると、「どう」がうまく着底せず、不漁に終わるのだと云う。机の上では、ただ仕掛けを入れれば、魚が獲れると考えてしまうのだが、素人の浅はかさである。恐らく、多くの人もそう考えているのではなかろうか。大間のマグロ漁師などの話題もテレビで見ることはあるが、テレビはやはり平面的にしか伝わらない。なんとなく凄いなとは思ってもそれまでである。

さて、潮の流れを読みボンデンを引き上げて、いよいよ仕掛けを投入していく。小一時間ほどかけて、100個の「どう」を海底に投入していくのだが、「どう」は枝縄と呼ばれるロープの先に、投入直前にフックで取り付けられ、その枝縄は50m間隔で、メインの幹縄に結ばれる。結果、幹縄は、全長5kmにもなるのだという。





  

さて、100人のアラブの王族達は期待を胸にし、次々に水深100m前後の海底へと飛び込んで行く。アナゴ漁は、日没から1時間が勝負なのだと船長は云う。アナゴが活動するその1時間を狙って仕掛けを入れて行く。それより早いと、他の生き物に餌が取られてしまい、遅いと、アナゴは喰いつかないのだと云う。
日没まで15分程残し、すべての仕掛け投入が終わる。これから1時間余り、海底のアナゴが餌の匂いに鼻をひくつかせなから動き出して、ぬたりぬたりと「どう」に入り込み、狂喜乱舞して、餌に喰らい付く様を想像して待つ。



つづく